気を遣われすぎると
大人になってから、幸いにも優しい人に恵まれた。
でもごく一部、ごく稀に、なんとも言えない違和感を感じる。
感情を整理してみると、気を遣われ過ぎてイライラしていたことに気づく。
「もっと仲良くなりたいのに…」という寂しさに似た思いが根底にある。
気の遣いすぎは、逆に相手に気を遣わせる
YouTubeでカジサックさんがよく自身の"気遣い癖”について話しており周りからも面倒くさいと言われている姿が印象的だが(あそこまでキャラ化すると強い笑)、ここでは私の周りで見かけた例を2つほど。
【1】
「この件を連絡するとAさんがこんな風に思うかもしれないから、報告するのを辞めておいた」
Aさんがこんな風に思うかもというのは私が聞いている限りただの思い込みで、多分気さくなAさんはそんな風には思わないだろう。要は万一の可能性を考え、自分が傷つくのを避けるために行動することを辞めたのだ。
(結果Aさんとの間に微妙な壁がうまれる)
【2】
アプリで写真を共有している親族より
「写真について気になったことがあったけど、アプリでコメント書くと皆に通知がいってしまって申し訳ないから、聞かなかった」
えっと…私含め他の人は普通にコメントのやり取りをしているのに、そのたびに通知が来て迷惑していると間接的に批判されたような気持ちになった。誰も通知のことは気にしていないのだ。しかも、本人を目の前にしてなお気になったことを質問しないというのは、興味がありませんという事??としばらくもやもやしてしまった。
もっと自信をもって良いのに・・・
気の遣いすぎは、逆に相手に気を遣わせる。
自分の気持ちを優先してOK
とか言っている私自身、昔は他人の顔色でしか行動できない人間だった。
- でも他人の気持ちを100%理解するなんておこがましいし、誰も求めていない
- たいてい変な気の遣い方は「思い込み」なことが多い
- むしろ自分の気持ちに正直になって、悩んでいる暇があったら相手と対話した方が歪みが生じない
今はそう思って行動しているが、
昔と比べてだいぶ楽になった。
きちんと相手に気を遣える人はきっと、自分勝手になるくらいでちょうどいい。