30代限界ワーママの葛藤

不器用女子の頭の中

本棚を整理すると人生がみえてきた話

 

 

新生活にむけた整理整頓

娘はあと半月で保育園児になる。

(1歳にしてもう集団生活なんて、なんということ…笑)

同時に我が家は、フルタイム共働きのドタバタ家族になることが確定している。

 

なので今、家事効率化、生活のシンプル化のために家中の配置から何から変えていっている最中だ。

 

そこで面白かったのが本棚の整理。

 

 

本当に関心があるものは本棚をみれば分かる

これまで複数箇所に置いていた本を、壁面収納タイプの大きな本棚に収納しなおした。

すると想像以上に面白かった。

 

夫の本と、私の本のジャンルがびっくりするほど違う!

 

分かってはいたがそれが明確に見える化され、しかも毎日見る場所にあること。

興味関心は人それぞれ違うということをこの本棚ははっきり示している。

 

本、とくに借りた本じゃなく「所有している本」。

他の人の本棚も覗いてみたくなった。

 

 

自分にとってのメイン以外を捨てる勇気

もう1つ気づかされたことがある。

 

本を買うときって、興味関心MAXです!!ではない分野のものを選ぶこともある。

(私の場合は、普段はやらない手芸の本を数年おきに買っては少し作ったりしている。)

 

完成した本棚を見ていると、明らかにそういった本が「浮く」のだ。

 

夫も私もだいたい2~3ジャンルくらいにまとまっているので本棚にそういうエリアが出来上がったのだが(図書館や本屋さんみたい!)、

思いつきで買った本は、そこからあぶれる。

 

 

ここ数日で売った本は全部、あぶれた本たちだ。

 

そうやって定期的に自分の関心事を確認し、それ以外を捨てる勇気。

 

そして捨てたことで何も困らなかったことを確認すること。

 

 

そうやって、自分が大事にしたいことをつきつめていきたい。

 

改めてそう思わせてくれた、本棚整理だった。

 

 

…ちなみに今の私のメインテーマは、お金・キャリア。そこに英語学習関連とちょろっとだけ独立や起業要素のあるものが追加されつつある感じ。

年を経るとまた変わるだろうから、記録しておくのも面白そう。

 

にほんブログ村 OL日記ブログ キャリアOLへ
にほんブログ村

自分から無理に力を引き出そうとしない

 

 

心配しなくても勝手に育ちます

今日とある子育て関連のセミナーで、印象に残った言葉があった。

 

「子供は自分で育ちます。

親が強制的に何かをさせたり、子供から力を引き出そうとせずに、子供自らの力を信じること。待つことが大事です。」

 

これ自体はよく言われることだがふと、大人も同じだなと思った。

 

大人になると自分のことを信じてあげられない

今の時代の親なら誰しも、子供の好きなことを伸ばしてあげたい!とか、子供の主体性を育てたい!とか思うだろう。(できるかどうかは別として)

 

子供に対しては割と冷静に考えられる。

 

ところが大人は20代から30代になるにつれ、自分で自分を何者かにしようと必死になる人が増える気がする。(はい、私もそうですw)

SNS起業!とかファイヤーとか、ブログで稼ぐとか副業とか…挙げだしたらキリがないほど私も調べたし、いくつか実践しては挫折した。

 

でもそれらの多くは、無理矢理自分をどこか夢の世界へ連れていこうとしているだけなのかなと。

 

「子供は自分で育ちます」

言い換えると、

「人間は自分で育ちます」

自分から無理に力を引き出そうとせずに、自らが持っている力を信じること。待つ(コツコツ続ける)ことが大事です。

 

 

成功している人は皆突然成功した訳じゃない

なんでこんなことを思ったかというと、

ここ1-2年細々と勉強しているのだが、定期的に「これは何か意味があるのか…」と心折れそうになるのだ。

 

その間に脱サラして独立した知人も複数いるし、個人投資家として軌道に乗り始めた人もいる。

 

身近でそうした話を聞くと嬉しい反面、正直焦る。

「私はその間に何をしていたんだろう」と…

 

でも他人のことは良く見えるものだ。

少なくとも、一部の天才を除き、成功している人は皆長い間長距離走のような努力をしてきている。

 

自分から無理に力を引き出そうとしない。

 

自らを信じてコツコツと力を育てていく。

焦らない、焦らない、、、でも着実に、、、。

 

そんなイメージが、私のような凡人にはあっている気がする。

 

 

いつか実を結ぶことを密かに願いながら。

 

 

 

まだ生きている人に向かって、もういなくなるかのような大層なことを伝える

今日は私のおばあちゃんの妹の話。

※私はおばちゃんと呼んでいたが調べたら「大叔母(おおおば)」と呼ぶらしい。

 

彼女は今、危篤だ。

 

なすすべもなく私は、お世話になったおばちゃんのことをずっと考えている。

 

 

 

なぜ失うまで大切さに気付かないのか

私には後悔がある。

10年以上前に亡くなった実のおじいちゃんのことだ。

 

当時大学生だった私は尖っており、お世辞にも親と仲が良いとは言えず、おじいちゃんの家にもろくに帰らなかった。

 

亡くなる直前、おじいちゃんは病気で入院したが、私は運悪く骨折していてお見舞いを先延ばしにし、たった1回行ったきり。

殆ど会うこともなく帰らぬ人になってしまった。

 

亡くなってから、おじいちゃんが私のことをいかに可愛がり、心配してくれていたかに気づいた。

川では、岩を裏返すとカニがいることを教えてくれた。

ヒノキを焼くときの良い音を聞かせてくれた。

思春期、私がふてくされていても100%の笑顔で接してくれた。

2人で夜空を見にいってこっそり教わったオリオン座の探し方は忘れない。

良い思い出しか浮かんでこない、溢れてくる。

 

非公開で行われた葬儀には200名以上が参列した。

皆、噂を聞きつけてやってきたらしい。

おじいちゃんの人徳を見せつけられた。

 

私は4人の孫たちの中で唯一、泣いていた。

 

棺に入れようと書いたおじいちゃん宛ての手紙を家に忘れていってしまい、「お前はその手紙をいれる資格がない」と言われたような気がした。

 

これからはおじいちゃんに認めてもらうように生きようと誓った。

 

 

近い人の危篤は2回目

大叔母(おばちゃん)は独身で、私が赤ちゃんの頃から本当に可愛がってくれた。

だからおばあちゃんのような存在なのだが、それくらい近い人がここまで具合悪くなるのは実は上記のおじいちゃん以来、2回目。

 

社会人になってからも一人でよく遊びに行った。

結婚してからは夫と。

犬を飼い始めたら犬と。

子供ができたら子供と。

私の人生にはいつもおばちゃんがいた。

 

おばちゃんが70代になってから、おばちゃんの過去について色々聞いてみたことがある。

 

プロポーズされたが、先天性の病気を理由に遠慮して断ったこと。

会社員時代から独立するまでの道のり。

仕事への思い。

 

特に仕事の話をするときは口調や目の色が変わった。

 

めちゃくちゃかっこよかった。

 

現役時は洋裁のプロで、1着10万~数十万もする洋服を作っていた。

当時もう引退していたが、誇りと自信に満ち溢れた姿はまだ現役だった。

 

まだ生きている人に仰々しく伝える難しさ

10日ほど前、同世代の親族で寄せ書きのようなメッセージを作って手渡した。

もう長くないことを知らされたからだ。

 

そこで、おばちゃんの生き方をかっこいいと思っていたこと。

いつもそばにいていれたことを感謝していることを伝えた。

 

まだ生きている人に向かって、もういなくなるかのような大層なことを書くのは正直気が引けた。

 

でも今、伝えなければいつ会話できなくなるか分からない。

だから思い切って、はっきりと書いた。

 

今日危篤を聞かされて、あれは正解だったと思っている。

 

 

ただ、手紙に書いたとき私は、

おばちゃんのことをこんなにカッコイイ女性だと思っていた自分に、初めて気がついたのだ。

 

確かに本人に思いを伝えることは出来たが、正直もっともっと出来ることがあったと思う。

 

 

今日からパートナーや親、友人への感謝を言葉にしてみよう。

 

大げさなくらいがちょうど良い。

自分がいかにその人のことを大切に思っているか気づけるから。

 

いなくなる直前に気づいていては、時間が無さ過ぎる。

 

 

周りに言いづらいことを誇りに思えるかどうか

 

 

周囲に言いづらいこと

母になって1年半、児童館などで他のママさんと話す機会がそれなりにある。

 

そして2月に入ってからはもっぱら保育園の話をすることが増えた。

そこから自然と、仕事の話になることがあるのだ。

 

「お仕事はどんなことされてるんですか?」と。

 

その回答に、いつも困ってしまうのだ。

 

 

どう思われるんだろう

先に私の仕事を簡単に言うと、一般の会社の営業の部署で管理職をしている。

 

そう、こんな風に冷静に書くと、「管理職をしている」これが自覚している私の仕事なのだ。(具体的には営業なので数字の管理、人のマネジメントとかね)

 

それなのに

リアルで人と話すときは、

「営業の部署にいます。〇〇ていうサービスでこういう提案をする仕事で~」と、営業部の部署紹介みたいなことをしてしまう自分がいる。

 

本当のことが言いにくくてつい、周りくどい言い方で本来やっていることを隠してしまう。

 

背景には、周りに変な風に思われたらどうしよう、、、という意識が働いている。

 

 

胸を張って本当のことが言えない

過去に話の流れでマネージャーをしているということを誰かに言ったとき、「えーー!育児だけで大変なのに会社でも人の教育とか絶対無理ー!!」と周りのママたちが盛り上がってしまったのはけっこうショックだった。

 

そういえば昔転職することを義理の母に伝えた際は、「もっと楽な仕事に変わるの?」と聞かれ、楽な仕事を選ばなかった私はそれ以上話せなくなってしまった。

もちろん昇進したことなど一言も報告していない。

奇怪なものを見る目でみられるに違いない。

 

…とまあエピソードは他にもあるが、私の仕事のことを社外で話すと毎回ろくなことが無くて。

 

以来、基本は隠すようにしている。

 

 

周りに言いづらいことを誇りに思えるかどうか

ただ最近、隠している自分が嫌になってきた。

 

「私は皆さんと同じです」「何も突き出たことはありません」と無意識に言っている自分がものすごく嫌いだ。

 

きっと誰しも、

人に言いづらいことこそ、逆に誇りに思うべきなんじゃないだろうか。

 

そう思い始めた。言い方を変えると、開き直った。

 

それはきっと、

人と違うこと。

あまり皆がやらないこと。

あなたにしかできないチャレンジ。

 

自分以外に誰がそのことと向き合えるのだ。

むしろチャンスを活かそう。

 

必ず応援してくれたり、理解してくれる人もいると信じて

もう少し堂々と生きてみようと思う。

 

 

にほんブログ村 OL日記ブログ キャリアOLへ
にほんブログ村

頭の整理も物の整理も、根本は「マイルールがあるかどうか」

 

 

家はモデルルーム

ありがたいことに最近、家が綺麗とかモデルルームみたいとかいう表現をされることが増えた。

 

20代前半まであんなに汚部屋だった私が、信じられない。

インテリアセンスのかけらも無かったのに。

 

でもあまりに言われるので、何が変わったのか振り返ってみた。

 

(「家はモデルルーム」という見出し、遊び半分でかいてみたけど調子に乗りすぎて我ながらニヤニヤするwこれはこれで面白いので残しておこう)

 

マイルールがあるかどうか

ポイントは1つ、マイルールがあるかどうかだ。

 

常に部屋が散らかっていたころは、

とりあえず収納する「場所」さえ決まっていれば、買ってきた物をそのままポンポン放り込めば問題ないと本気で思っていた。

 

買ってきたお菓子とかも、買ったきた姿のままキッチンの引き出しに入れていた。

 

一方で現在は、

買ってきたものはマイルールをもとに収納しなおす

これを心がけている。

 

買ってきた姿のままにしない(←これ)

 

 

具体的には例えば、

  • 買ってきたお菓子は、整然と並べた100均のクリアケースの中に"個包装の状態で"収納し、外袋や箱はすぐさまゴミ箱へ
  • 病院でもらった薬は、これも事前に整然と並べてある小物入れに、種類ごとに保管した上で薬名・期限などを見やすく貼っておく。薬の説明書は説明書専用スペースへ収納し、いざというとき読めるようにする。

 

こうすることで、

  1. 事前にセットしてあるクリアケースに入りきらないものは買わない、貰わない
  2. 特に大型のものは一度買うとクローゼットごとアレンジが必要なので、本当に必要なものでないと買う気が失せる(ムダな出費が減る)

 

ということでキレイな状態が保てるようになったと思う。

 

 

マイルールの弱点

家族が増えたり、生活スタイルが変わったりしたときはマイルールごと見直しが必要になる。その時の作業はプチ面倒。

 

まあ、マイルールを決めていなくても見直さないとぐちゃぐちゃになるので、弱点というのかどうかは疑問かも…笑

 

 

頭の整理も一緒

実家から出て、就職して、一人で家事をするようになり、結婚し、ペットがきて、昇進し、子供ができて、、、

次々と考えることが増えていく。

 

昔と同じようにうけとった情報をそのまま頭に収納していてはいつかパンクする。

 

事前に頭の中にいくつか、収納ケースを準備しておこう。(仕事、育児、英語、、自分の大切なものだけ!)

➔入りきらないものは、入れない!!スルー!笑

 

 

 

何を考えるかよりも、

何を考えないかのほうが大事だったりするよね。

 

 

 

 

 

 

物事に名前をつけることの良し悪し

職場復帰後の慌ただしい生活にむけ毎日断捨離しているのに、あろうことかチャイルドシートを購入してしまいまた部屋の片隅の面積が占領されげんなりしているみっちです。

 

娘のイヤイヤ期が始まった

当初はそんな風に思っていなかったのだが、娘の最近の様子を児童館でベテラン保育士さんに相談した際、

「プチイヤイヤ期に入ったのかな~」と言われたのがきっかけで悟った。

 

その後ママ友と話していたときも、「娘ちゃん完全にイヤイヤ期だねw」て言われて、ああそうなのかと。

 

それから自分のことを「イヤイヤ期の娘をもつ母」だと無意識に考えるようになり、ちょっとしんどくなった。

 

イヤイヤ期って成長の過程で喜ばしいことでもあるのに、名前のセンスがいけてないよね・・・・

 

物事に名前をつけることの良し悪し

同じようなことが過去にもあった。

 

病院で、「低血圧ですね。朝起きにくかったりすることないですか?」と聞かれたのだ。

私は全く自覚がなかったのにその日から、朝起きにくい気がしてきて困っている(笑)

 

 

「名前がないものはそこに存在しないのと同じ」という言葉を思い出した。

言葉をあてこまれた途端、急に"低血圧な自分"が存在感を増してくる。

 

 

都合よくいきましょう

マイナスな言葉には要注意だ。

 

私みたいな流されやすい人間はすぐ、「あなたってこうですよね」と言われると本当にそんな気がしてくる。

 

それで思いついた対策が「プチ」をつけてみること。

 

最初児童館の先生に言われた言葉「プチイヤイヤ期」。

これがけっこう良かったと思うのだ。

イヤイヤ期ほどストレートな言葉ではなく、でもその傾向はあるよねという、絶妙な距離を保つセンスが気に入った。

 

プチハードワーカー

プチ短気

プチ頑固

プチ浪費家

 

なんか良くない?w

(それほど深刻じゃない場合のみ使えるのは言うまでもない)

 

モヤツとするワードを言われたら、

頭の中で「プチ」をつけて勝手に可愛らしくしてやろうと思う。

 

 

人間関係は鏡です。鏡は先に笑わない。

 

 

「人間関係は鏡です。鏡は先に笑わない。」

先日、通りかかったお寺の門に書いてあった言葉だ。

 

誰の言葉なのだろう。

夫婦喧嘩をした翌朝だったので、色々と考えさせられた。

 

鏡は先に笑わないが後にも笑わない

考えながらベビーカーを押していて思ったこと。

 

確かに自分が笑わないと鏡は笑ってくれない。

でも逆に、鏡のほうも時間差で笑う訳じゃなく、同時に笑うよなあ。

 

だから

「自分が先に・・・!!!」と気負わなくて良い。

 

自分が笑顔でいたら自然と周りに笑顔が増える。

自分が良い行いをすれば自然と周りで良いことが増える。

 

 

実現することの難しさ

けどこの言葉を知ってしまうと、

「相手が笑ってくれたら私も鏡のように笑うのに」みたいな思考に走りかねないから難しいと思うのだ(笑)

 

お互いがそう思い続けるだけなのにね(笑)

 

とりあえず早く寝てよく食べて、健康を保つこと!

常に自分に余裕をもち冷静に良好な人間関係を保ちたいものだ。

 

 

にほんブログ村 OL日記ブログへ
にほんブログ村