子供の名前のつけ方に正解も不正解もない
大前提そう思っている。
姓名判断・字画を気にすべきかどうか?のアンケートもたまに見るが
持ち家か賃貸か論争くらい意味がない。
背景や状況も100人いたら100通り。
姓名判断について
字画が良いか悪いか、ましてや当たるか当たらないかとかいう「事実」の話ではなくて「考え方・価値観」の問題だと思っている。
我が家の場合は、子供には子供の人生を歩んでほしいという考え方をしたので、自分たちが好きな漢字を入れる、といった決め方はしなかった。(子供がそれを好きかどうかは分からないので)
一方で、良い字画かどうかはかなり気にして、姓名判断のサイトを調べまくった。
子供自身が大きくなって調べたときに「大凶」だったらどう思うだろう。
本人が気にするかしないか分からないので、間違いない方にしておきたい。そんな思いもあった。
…たまたまこう考えただけで、他の夫婦ならまた別の考え方をすると思う。ただそれだけ。
呪いレター事件
ところが、考え抜いて名前を決めた後のこと。
田舎に住む祖母(先日のブログに書いた祖母とは違う方)から1通の手紙が届いた。
内容はだいたいこんな感じ。
繰り返すが、私たちはむしろ姓名判断を気にして名前を考えたのだ。
それなのになぜ・・・
にしても姓名鑑定がどうこうという以前に、親族にこんな言われ方をされてしまい、せっかく考え抜いた名前も呪われた名前のように思えてしまった。
夫と2人して数日間落ち込んだ。
姓名判断も流派によって結果が違う
とはいえまず、「事実」を確認しようと思った。
なぜあれだけ調べたのに縁起の悪い字画と言われたのか。
事実① 姓名判断には多数の流派がある
大きな流派でいうと、
熊崎式(姓名判断の源流・旧字体)※正統派と呼ばれる
桑野式(新字体)※熊崎式から派生
ネットで気軽に見れたりして身近なのは、後発の新字体の流派だろう。
ところが、今回祖母が鑑定に出した鑑定士は(熊崎式かどうかは不明だが)旧字体を使う流派だったのだ。直接自分で問い合わせて分かった。だから、字画の数がそもそも違う。➔当然結果も違ってくる。という訳だ。
なんじゃそりゃ…あてにならなすぎる…
こうなってくるといよいよ、姓名判断が当たる証拠はどこにもない。
事実② 旧字体を使う流派同士なら結果に大きな差はない
要は何を信じるかによるということだ。
私たちの性格上正統派を選ぶというのは妥当な気がしたので、自分で好みの正統派鑑定士さんを見つけて有料で相談してみた。
そこでいくつか候補に挙げてもらった漢字の中に、私たちの考えと一致する意味が含まれているものがあった。運勢も良い。
それを祖母が依頼した鑑定士さんにも確認したところ悪くないとのことだった。同じ旧字体を使う流派であれば大きくズレることは無さそうだ。
事実③ 旧字体で◎の漢字でも、新字体の姓名判断では「凶」のことも
旧字体で良しとされる漢字は、ネットで調べた新字体鑑定では「凶」だった。
やはりここは画数の差が大きく逆の結果になってしまったようだ。
【教訓】事実と価値観の押し付けを混同しない
そもそも祖母の手紙にはこれらの事実のごく一部しか書かれていなかったのだが、とにかく全貌が見えてきた。
さて、ここからは価値観の問題だ。人によって結論は違うだろう。
結論、私たちは子供の名前(漢字)を変更した。
紆余曲折あったが、最終的には納得している。
でもねー。事実や自分の考えを伝えるのはウェルカムだけど、自分の価値観を他人にも押し付けるのはいかがなものか。
例えば、「姓名判断が当たる証拠なんてない(事実)。だから自分は誰がなんと言おうと気にしない(自分の考え)。信じる人はバカ。やめておけ。(価値観のおしつけ)」とかもね。
自分の言動には注意したいものだ。
今回改めて強く思った。